給料と仕事が分離(悪いこと)

働き方改革

 光があれば影もある。
 仕事が給料と分離すれば、マイナスの面も生まれる。

 かつては単純に長く学校にいる先生が、いい先生と言われていた時代があった。

 朝早くから子どもと遊んだり、放課後にプリントを作ったりするような先生が、熱心な先生と言われていたことがあった。
 学校に夜遅くまで照明がついていると、「うちの学校の先生たちは熱心な人が多い。」と単純に評価する人も多かったようだ。
 そんな時代だから「子育てをするお母さん先生」をいやがる保護者もいました。もしかしたら、今でもいるかもしれないが。

 職場の中では、時間管理がずさんになることもある。
 会議の時間を守らない。始める時間も終わる時間もである。コスパを考える必要がないので、気持ちが緩んでいる。

 ずさんな時間管理は、子どもの指導にも出てくる。
 運動会や学習発表会の練習が、異常に多い学級や学年が時々出てきていた。果ては学校全体が、そのような状況になることも珍しくはなかった。

 放課後に子どもを残して勉強させることなどは、よくあっていた。宿題忘れの代わりの場合もあれば、勉強が苦手な子どもへの補習の場合もあった。子どもを残すことは、むしろいいことだと思われていたこともあある。

 研究授業などは、日ごろはやらないと分かっているようなことでも、掲示物や黒板の貼りものなどを延々と準備することがあった。それを「がんばっている」と評価されていたせいである。

 学校の予算にも無頓着な教師も多かった。(これは今でも多い。)
 年に一度使うか使わないか分からないような備品を、よく検討もせずに買ってほしいと要望するような教師もいる。
 学校にも予算(の限界)があるのに、それを深く考えず要望すれば買ってもらえると思っていた教師は残念ながら一定数いた。これは、校長職にいる人の中にもいた。
 当たり前だが、何かを買えば、別の何かをあきらめなければならない。家の家計を考えれば誰でもわかることである。 

 時間やお金の管理に意識が向かないと、新しいことが入ってきたときに拒否反応が出てくる。
 より効率的に物事を進めようとしないために、習慣化されたものや個人的な要望が強く残るようになってきている。
 学校が多忙化してきたと言われるのは、もともとコスパ意識が低かった中での取捨選択ができていなかったことも原因の一つであるといえる。

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