若い時は、子どもとの年齢の差もそれほどない。
新任で6年生をうけもったりすると、10歳程度しか離れていない。教師の方も、つい先日まで自分が子ども(教えられる側)だったので、感覚が子どもに近い。
一緒に遊んだり、他愛のないおしゃべりをしたりしていると、子どもとの距離が近くなっていく気がする。それはそれで大切なことだ。
しかし、どれほどに心理的な距離が近くなろうとも、教師が子どもの友だちになることは決してない。なってはいけない。
教師と子どもとの関係は、どこまで行っても教師と子どものままであり、その間には残念なくらい深くて長い溝がある。
子どもは気さくで話しやすい教師が好きだ。
しかし、それはどこまで行っても「教師として」好きなのであり、友だちだとは思っていない。教師も思わせてはいけない。
平時は友だちのような関係でも、うまくいくかもしれない。
しかし、緊急の時は子どもを守らなければならない。そうしたときにリードできる立ち位置になければならない。
やってはいけないことを、やってしまうときもある。友だちなら目をつぶっても、教師なら叱らなくてはいけない。
いじめられている子どもも守り、いじめている子どもへ毅然と対応するときに、友だち関係では成立しない。
子どもも、自分が悪いと思っているときにはきちんと指導してくれる大人が必要だと分かっている。
師はあくまでも、師なのである。
その自覚をもって子どもと接した方が、返って子どもを理解できることがある。子どもも教師を理解してくれることがある。
明るく楽しい存在なのだけれど、どこか毅然としている教師の方が、子どもたちも安心する。
教師は、教室でたった一人の大人であり、何かあれば助けてくれる存在だと思っている方が子どもも安心なのだ。そうした存在だからこそ、自分が間違ったときに叱られても、素直に耳を傾けるのだ。
子どもとの間には深くて長い溝があると自覚しよう。
そうすれば、その溝に橋を架けて渡ることができる。無制限に距離を詰めようと思うと溝の中に落ち込んでしまう。